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自治会 一覧

地区四丁目自治会

1.名前の由来
我が自治会の名前の由来は, 当地区の松原二丁目, 戸祭一丁目,戸祭三丁目,中戸祭一丁目の四つの丁目を合わせて一つの自治会としたため「地区四丁目自治会」と命名されたということです。

2.運営方法
我が自治会は20名の役員で運営しています。下部組織である老人会と育成会の会長は、 自治会の役員を兼務し、また育成会会長は退任後も役員として残留して頂き役員の世代交代, 活性化に努めています。

3.自治会独自の行事
自治会独自の年間行事として、夏,秋祭り,国道除草,親睦ゴルフ大会,夏休みお楽しみ納涼会,新年会を行うとともに特に2024年度は、「誰でも見て分かる防災マニアル」の作成、2025年度は、それにマニュアルに沿った避難訓練が加わりました。

桜通り自治会

桜通り自治会は、戸祭地区の一番南に位置します。
桜通りは、昭和38年に伐採されるまで、市民に親し桜並木に由来し、「桜並木ここにありき」の碑が残されています。自治会には、育成会(子供会)・桜寿会(老人会)があそれぞれの活動や二荒山のお祭り、天王祭・菊水祭を通して、地域の親睦を図っています。
自治会においても、少子高齢化が進んでますが、継続できるよう努めて参ります。

松原自治会

1.名前の由来
「松原」の由来は、日光街道と中城(戸祭城)正門を結ぶ街道の交差点に大きな松の生えた広場があり、その辺りを「松原」と呼んでいたことによります。

2.運営方法
私ども松原自治会は、地域住民の親睦と安心安全で快適な暮らしの実現を目指し活動しています。
主な活動として、行政の情報の回覧・防犯(防犯灯の新規設置、維持管理)・地域の方々との清掃活動(年4回 倍木児童公園清掃)防災(年1回の地域防災訓練・AED講習会)・交流親睦(天王祭(夏祭り)、菊水祭、体育祭)・育成会合同の資源ゴミ回収(月1回)などを実施しています。また、地域における様々な問題の解決に取り組むとともに、住民の連帯意識の向上に努めております。

松原通り自治会

1.自治会紹介
昭和40年以前、当地区は「戸祭町三丁目」と呼ばれており、「戸祭三丁目自治会」と称していました。昭和40年に住居表示制度が実施され、当エリアが松原一丁目と松原二丁目に変更されましたが、境界の「松原通り」を活かし「松原通り自治会」となりました。

2.自治会の活動
秋の「菊水祭」では、休憩所(お休み処)を設けています。鳳輦をはじめ神輿や馬の隊列をお迎えし、休憩していただいてます。

松原東部自治会

私達の自治会は、昭和41年に背割り方式にせよという自治省の指導により、道を挟んで分割され小さな自治会になりました。しかし今は、毎年国土庁の地価公示価格で高く評価され、インフラも整備され便利な住環境の中で皆生活をしています。
当自治会内には文星芸術大女子高校のグランドがあり、毎日厳しい練習風景を見ていると、まさに鍛錬千日勝負一瞬だとつくづく頭が下がります。結果同校の成績は、国内の試合で数々の優勝をするなど輝かしい記録を残しています。そのような選手が自治会内から巣立っていくことは私たちの誇りであります。
同校グランドは、宇大付属小中学校のグランドと共に非常時には避難所として使わせて頂けるようになっています。そして隣接する小幡清住地区の区画整理も着々と進んおり、我が松原東部自治会も益々立派な地域になっています。

戸祭西部自治会

1.名前の由来
自治会創設は、昭和30年頃と思料されるが、詳細は不明です。
戸祭西部は、戸祭町(現・松原)の西部地域に位置し、戸祭小学校は、昭和44年まで、現在の星が丘中学校の場所にありました。

2.運営方法
役員は、会長以下10名で、自治会を運営しています。

3.自治会活動
活動の一つとして、天王祭は、会所を設け、山車を引き、町内をねり歩き、その後は、松原

戸祭二丁目自治会

戸祭二丁目自治会は昭和7年~10年頃、大橋信一様が始められたと言われています。
当時の会員10名、活動については不明で、道路は地図よりもかなり曲がっていたようです。
現在の範囲は、文星女子高東側から、戸祭小学校西側の間で、範囲は当時より広くなりました。

戸祭三丁目自治会

1.自治会紹介
戸祭三丁目自治会は、記録が残っている限り昭和53年 4月23日会則が制定されてから今日まで存続しています。当初は、 100世帯位の小さな自治会だったそうですが、ほぼ全世帯が加入していたそうです。
それから数十年たった今、世帯数も増加して 200世帯を超えるまでになりました。

2.自治会の行事
当自治会は、残念ながら単独の行事は行っていませんが、地域の皆さんができるだけ戸祭地区の行事に参加することで、班単位だけでなく自治会全体の親睦を図ろうとしています。

戸祭四丁目自治会

さくら児童公園を中心とした住宅地の自治会です。
昭和の時代小規模住宅地開発により、狭隘な路地も多々ありますが、その分「 となり組 」の絆は強いものがあります。
近年会員も高齢化の傾向にあり、空き家・空地が散見される状況にありますが、子供会、育成会、さらには老人会ハッスル会)等の活動も活発です。
さくら児童公園を一時避難所とし、自然災害に対上でも、地域のみなさんと自治会がワンチームとして、安心・安全なまちづくりを目指しているところです。

中戸祭一区自治会

1.自治会紹介
中戸祭一区自治会は、旧国本村に所属していましたが昭和29年に宇都宮市と合併、昭和35年に16町内会で設立した戸祭地区連絡協議会に加盟し、更に昭和41年11月、宇都宮市自治会連合会の発足を機に戸祭地区自治会連合会と名称を変更し現在に至っています。

2.自治会活動
今年で38回目を迎えた町内運動会をはじめ、夏祭りのかき氷無料配布や親子対面神輿、町内渡御、宮まつりへの神輿参加を行っているほか、体育祭、防災訓練など地区行事にも積極的に参加しています。

中戸祭二区自治会

1.自治会の神社と行事
中戸祭二区自治会は、東宝木地区、中戸祭地区、戸祭地区の三地区から構成され、地区の信仰の拠り所として八坂神社と長良神社が祀られている。
八坂神社では、毎年7月の第2日曜日に自治会、長寿会などにより例祭が開催され、神主によるお祓いや子供たちの駄菓子のつかみ取りなどが賑やかに行われている。一方の長良神社の主祭神は、恵比寿様とも呼ばれている事代主命で、東宝木地区の開拓民の守り神として建立され、例祭は、毎年11月3日に地区の安全を祈願し、盛大に行われている。

新川自治会

準備中

和尚塚南部自治会

1.自治会紹介
和尚塚南部自治会は栃木県立美術館の南側と西側桜四丁目と桜五丁目の一部になります。
今も戸祭二丁目に和尚塚がありますが、昭和40年までは「和尚塚町」という町名が存在しました。
和尚塚一丁目・二丁目は桜四丁目となり、「和尚塚町」の町名は消滅しましたが、自治会名として残っています。
大谷街道の拡幅等により会員数が減少し、54世帯と会ですが、明るい住みよいまちづくりを目指しています。

和尚塚二丁目自治会

1.和尚塚町名の由来と現在
自治会の創設年等については調査中のため、今回は自治会の名称について述べたい。
和尚塚とは戸祭二丁目にある墳丘墓で、祥雲寺を開いた和尚の雪江良訓を弔うために築かれた塚をいう。1950年に一の沢町と戸祭町の一部から和一部から和尚塚町が発足した。
この和尚塚町は一丁目から三丁目まで設置されていたが、1965年の住居表示の導入により和尚塚一丁目と二丁目は桜4丁目に、和尚塚三丁目は戸祭二丁目と北の沢町に分割された。このように住所上の和尚塚の名は消滅したが、和尚塚経由の路線バスの運行、和尚塚というバス停留所の存在、また自治会名として3つの自治会が和尚塚名称を使用している。

和尚塚三丁目自治会

1.自治会の位置
戸祭小学校西側にある自治会です。

2.自治会の名前の由来
近くに高名な僧侶の墓である『和尚塚』と呼ばれる塚があることから、昭和の時代には町名にもなり、和尚塚三丁目自治会は旧町から名づけられております。

3.自治会の構成
現在は北一の沢町の一部と戸祭二丁目の一部の住民から自治会は構成されております。

東宝木自治会

1.自治会の神社と行事
東宝木自治会集会所庭にある長良神社は、1671年に群馬県邑楽郡から移住した人により当地に勧請されたと栃木県神社誌に記録されています。
その長良神社で毎年10月の第一日曜日に盛大に開催される例大祭は、地域の絆を深める大切な行事となっています。

2.集会所での交流会
数年間かけて改修・整備した集会所には2室あり、毎月“いきいきくらぶ”と“ヨガサークル”のグループ活動の他、図書室の開放を通し世代を超えた住民同士の交流が活発に行われています。 

戸祭東自治会

1.名前の由来
当自治会は、住民同士の交流、防犯防災など住みやすい環境にしていくために1992年から活動を開始しました。

3.自治会の活動
自治会独自の活動として夏祭り、冬は福引、ビンゴ住民同士の交流を深めております。

一ノ沢陽西北部自治会

1.自治会紹介
自治会は創設当初、桜地区連合自治会に加盟していました、さくら児童公園を中心とした住宅地の自治会です。その後、戸祭小と星ヶ丘中の設置場所替えの影響もあり、旧自治会の子供たちの多くは(約8割)戸祭小、星ヶ丘中に通っており北部住民にとって学校繋がりの行事、防犯、防災、社会福祉活動に不便さを感じており戸祭地区連合会に加盟致しました。

2.独自事業、活動
天王祭町内神輿巡行
陽寿会(高齢者)による公園の清掃、草刈

北一の沢町亀鶴荘自治会

1.自治会の位置
北一の沢町亀鶴莊自治会は、文星女子高校の正門通りを挟んで東西に広がる北一の沢町の一部。

2.名前の由来
「亀鶴莊(きかくそう)」の由来は、約五百年以上遡り、足利時代末期の宇都宮十六代城主正綱の一族である戸祭高定という武将が隠居し、仏門に入り当地に庵を造り「亀鶴莊」と名付けたと伝えられています。

3.主な活動
主な活動は、一の沢一号児童公園の清掃活動や、夏祭り御輿の町内巡行などです。